再び、化け物は翼を広げ白い鳥となってユグニーオンの畔にその穢れを撒き散らすであろう。

『死海文書 断片章より』









    As. -treat me nice-27『混濁』              こめどころ


Curatio vulneris gravior vulnere saepe fuit.   傷の治癒はしばしばその傷自体よりも痛みを伴う。










2020-1-30



弐号機はそのどす黒い巨体をゆっくりと海の中に消した。それと立川の基地からの、大型輸送ヘリ4機

及び、攻撃ヘリ12機が飛来したのは、時間にして僅か7分違いだった。ネルフの部隊は誰も拘束され

ること無く、UNの主力部隊と接触せずに離島することに成功。アスカを回収できたことに対し,褒められ

もしなかったが叱責を受けることも無かった。無かったことになっている部隊がありえない戦果を上げて

行方不明の少女を助けても叱責の根拠はなかったのである。 もちろん裏側での捜索は必死になって

進められていた。表向き日米UNの3組織は合同で事を進めて行くことになり、国家間の協定まで結ば

れたがそれでも互いの交流は無きに等しく、その時々の小さな利害によって現場で手を結んだり離れ

たりした。それはCIAとDIA、広域合同捜査本部と県警単位の警察と警視庁、旧NERVの残組織と日本

における正式なNERV残務整理組織との友好部隊と非友好部隊 ・・・と言うように際限なく小さな部分に

至るまで 、極端に言えば個人の単位の判断行動までが、日々離合集散を繰り返していたのだった。

この中で個人の集合体である『ミサトの組織』が、結局の所最もまだ現れない未知の『EVAを擁する組

織』(嘘か本当かNERV.J.と呼ばれていた)に対しての主要な組織であり続けていることは、奇跡の

ようなものに等しかった。『ミサト』は、この情報戦の続く中、もはや個人の名前ではなく一つの組織の

名として使われはじめてさえいた。


弐号機は消えた。1月26日午後から、UN、戦略自衛軍、海上保安庁、米軍の海上海中の探索機能

はフル回転でその後を追っていた。


「ごく僅かな温水痕も発見できんとはどういうわけだ!何のための最新鋭機器だ!」

「航空からの赤外線探索もまったく意味を成していない。超高性能ソナーも振動調査も。」

「衛星探査も浜辺までは跡を追えるのだがその後はまるで海水に溶けたように消えてしまっている。考
えられる限り全ての探査システムがお手上げではどうしようもないではないか。」

「あの周辺の潜水艦探査システムは首都防衛のために網の目のようになっている、それが何の役にも立
っていないとは。使徒戦役の際でさえ使徒接近を容易に捕らえられたものを。」


あせりのために幹部情報交換会は愚痴と罵りあいの場と化していた。


「今日も何の収穫もなかったわ・・・」


帰ってきたミサトは、ソファに身体を投げ捨てるように腰を下ろした。


「シンちゃん、ビール!」


ビールを渡しながら、シンジはずっと思っていたことを口にしてみた。


「ミサトさん、物理的存在であったら捉えられない訳はないと言うのに引っかからないということで、みんな

苛ついているのでしょう?どうなんでしょう。弐号機は本当に物理的存在であるってことを止めて逃れたっ

て事は無いでしょうか。」

「え?」


「ミサトさん、僕らは使徒をずっと身近で見てきました。EVAは我々の側で戦ってくれた存在ということでつ

い人類の常識の側に立つ者と思っていなかったでしょうか。あれこそ使徒ですよね。我々の常識の範囲に

納まるようなものではなかった。だったら今度の事だって何も不思議では無いんじゃないでしょうか。」


「つまり物理的存在ではない使徒という形態をEVAが捨てたって事?」

「そうです。思い出してみてください。あそこで見た弐号機は明らかにアスカのものと違っていたじゃないで
すか。」

「そりゃあ、外部装甲板というか拘束具を・・・そうか、今のEVAは何者にも縛られているわけじゃない、と

いうことよね。科学的には否定されているディラックの海までを取り込んでいる化物だということ。それが

EVAの、使徒の本質だったわ。呆けたかな、平和に。」


ミサトは立ち上がるとシンジにビール間を返した。


「もう一度、出かけてくる。それ飲んでいいからねっ。」


ばたん! ドアが閉まった。


「なに? 葛城さん、帰ってきたのではなかったの?」


レイが奥から顔を出す。シンジはレイにビールを渡すと自分の部屋に入った。










・・・ここは?


ふわふわとした、感触のあやふやな世界で、手探りでうごめいている自分にふと気づく。


・・・誰も・・・いないの・・・・


濃い、ミルク色の霧。上を仰ぐと、かすかに真っ赤な空がその霧の向こうにある。


・・・夕方・・・なのかしら。


自分は、と見ると身に一糸もまとっていない。だが、そのことを恥ずかしいと思うことも無い。

だって、この格好でなければ仕事にならないじゃないの。あたしは・・・娼婦だもの。

きっと誰かそのうち現れて、あたしをベッドに連れて行くわ。それまではこうやって四つん這いになって

もがいていればいいのよ。


・・・ほら、人が来た。


その人は私のほうに近づいてくる。その正面には黒光りする逞しいものが輝いている。

あれを私の中に挿入するために近づいてくるのよ。

あたしの股間はそれを求めて早くも緩みだし、濡れ始めているじゃないの。

這って行くたびに擦れる太股の間がぬるぬるとしてきた。男が近づいてきたから。

あたしは娼婦だから。職業的反射行為といった所ね。効率よく客をさばくのは大事なこと。

よく濡れるということは、健康ということだし、内面を傷つけず、客を喜ばせるためには何より大切なこと
だもの。

ごめんね、シンジ。あたしもうあなたの前には戻れないわ。私は淫売だもの。穢れた女。

もうは元に戻れない娼婦として生きて行くしかないの。腿の両脇に入れられた「淫02」の太い刺青が、

あたしをここに縛り付ける。首筋に掘られたチョーカーのように、真っ赤な太い刺青が、ここの街から外

に出ることもできなくしている。この街は、首輪を彫られた女達の街、だけどそこから一歩出れば、石を

投げつけられるだろう。あなたと幸せになりたかった。


あなたとどんな暮らしをしたかったのか。もう憶えてさえいないけれど・・・どこであたしはこうなってしま

ったのだっけ。あたしはその記憶を手放した。憶えていたら辛くてしょうがない記憶を消してしまう技術

に縋ってしまったからね。そうしなければ生きていけないと思ったのだから。多分。


ここはそんな女の吹き溜まった場所だからね。








「シンジ。行っちゃだめっ。」


シンジは困ったような顔をした。


「アスカ、僕が行かなかったら皆が死んでしまうんだ。」


あたしは激しくかぶりを振った、そして叫んだ。


「この世界はあたしたちの世界よ!他の人なんてどうでもいいの!あたしとあなたが生きてさえいれば幸せ

が約束されるの。例え奴隷のような境遇だろうと、地面をはいつくばってもあなたを他の誰かのために犠牲

になんかさせない!」


「アスカ。」


「みんなって誰よっ、どこにいるのよ。誰のことなのよっ。あたしからシンジを奪う奴はみんな敵よっ!

使徒よりもずっとたちの悪い敵よ、出てきて名乗りなさいよ!

あたしのために死んでください、あたしはシンジさんより生きる価値のある立派な人間なんですって言って

御覧なさいよ。

そしたらあたしが見極めてあげるわ!アンタがシンジより価値があるかどうか納得できたら譲ってあげる。

そうじゃなかったらあたしが引き裂いてあげる。世界中のどこにアンタより価値のある人間が居るのよ!」


「アスカ。」


「いやよ、いやいやいやっ、世界中全ての人間よりあたしにはシンジのほうが重いのっ!

だからあんたは死んじゃだめっ!あたしのために生きなきゃいけないのよっ!」


「アスカッ!」


激しく頬を打つ音。


「わかってくれよ、アスカ・・・僕だって行きたくないよ、でも。」


「馬鹿よ!人間の価値なんて量じゃ測れないって、さんざん言われてきたのはあたしたちじゃあないのっ!

どんなに大勢が苦しんでいても、国家のためだとか、偉い人のためだとか、金持ちの為だとか散々使い捨てに

されてきたくせに、この期に及んでまだ自分をその奴隷根性のために犠牲にするというの!あいつらはあんた

に何をしてくれたというのっ!残されたあたしに何をしてくれるというの。私に、この世界に対する永遠の拒否権

でも与えてくれるとでも言うのっ!

そうじゃない、そいうじゃないでしょっ!あいつらはアンタが死んで守ってくれたら、いい奴だったな。ばかだった

けどっていうだけなのよっ!それでも、あたしよりも、そいつらのために死ぬの!」


「世界には・・・大勢の数限りない僕らがいるんだ。アスカ。」


「何で、何でアンタなのよ、何であんたなのよ、何でシンジなのよ、何であたしのシンジなのよ!」


絶叫。アスヵは倒れ、シンジは唇を噛んで歩き始める。背にアスカの言葉が投げつけられる。


「あたしを、殺して。あたしを殺してっ!それから世界を救ってっ!」








「さあ・・・目を覚ますのだ、アスカ。」

「はい・・・叔父様。」

「EVAは醜い。だが人はもっと醜い。愛も醜い。それは自分のためのエゴの塊に等しい。だからこそ人はその

ために愛を求めるのだろう。自分がそれをまったき形で手に入れることは、自分のエゴが正統であってまっ

たく正しいものであったことを証明できるからだ。入れられたから正しいのだ。正しいから手に入れたのではない。

人は誰よりもそのことをよく知っている。だから最後の瞬間まで、それを手に入れられるようにあがかずにはいら

れないのだ。それを手の中に握りしめたまま死にたいと願うのだ。」


「あたしは・・・何もかもを失ってもシンジを手に入れたいと願った。」


「そうだそれがお前の唯一のエゴだからだ。他に失うものすらなかったお前の唯一依って立つ物だったからだ。

お前は哀れな娘だ、だからこそ美しいのだ。その哀れな心が輝くのだ。」


「あなたは・・・あなたは・・・叔父様。」


「わしは・・・許せなかった、あの男が幸せに死ぬのを許せなかった。だからあの男とあの女と2人の息子と、

その愛する者たちが、その愛した娘が幸せになることが許せなかった。その呪いがわたしを形成し、今日の日

まで生きながらえさせたのだ。」


「だから・・・不幸なまま死ぬの、それでいいの。それだけで我慢できるの。」






「あたしは、何のために生きたの。愛したと思っていた男が死んだと、あの年端も行かない娘と死んだと、食い

殺されたと、あたしでないものの手にかかったと、そんなことは許されなかったのよ。あなたは私の手にかかっ

てこそ死ぬべきだったのよ。あたしはあなたの手にかかって死ななければならなかったはずなのよ。」


「わしはもう当に死んだはずだ。お前を殺した。あの娘に殺された。そして還元されて消えたはずだったのだ。

誰がそれを戻したのだ。誰がもう一度やり直す事を許したのだ。神か、それならばこの世に何故また戻ったのか。

お前の望みは発生と死と還元なのか。限りなく続くループなのか。人はもともとひとつのスープから発生した。

だから再びその一つの細胞かコロニーに戻したいのか。だがそれはまた同じ揺らぎの中で同様の発生を続ける。

お前な絶望的な確率でその実験を繰り返すのか。神よ、おまえもまた何かに絶望した存在なのか。繰り返さず

にいられない呪われた存在だというのか。神よ。」

















廊下を早足で駆け戻ったナースが病棟当直医につげる。

『・・・先生、3076号室の惣流アスカさんが目を覚ましました!』






再び物語りは動き始める。そして、最後にシンジは神に語り、宣言する。







『Certa amittimus dum incerta petimus.Qui parcit malis, nocet bonis. Dum spiro, spero
Odi et amo.ーOmnia vincit Amor. Dii a nullo videntur, ipsi autem omnia vident.
Probitas laudatur et alget.Vivamus, mea,Asuka, atque amemus.』

As.-treat me nice「混濁」2003−03−15


僕たちはいつも不確実なものを求めてる間に確実なものを失う。そして悪人を許すことは、善人に対し
害を与えてしまう事かもしれない。だが息をしている間は僕は希望を持つ事ができる。生き続ければこそ、
僕は憎み、そして愛する。そして最後に愛は全てに打ち勝つ。神々は誰によっても見咎められないけど、
自らはすべてを見つづけている。清廉潔白な者は褒め称えられる。だが、だれからも省りみられない。
それでいい、と思う。僕には掛け替えのないものがある。ともに生きよう、アスカ、愛し合おう。








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